それは、ケンブリッジ大学を卒業した英国人弁護士 Leslie Lawrenson氏、享年58歳です。
彼は、ワクチン接種を受けなくても、自己免疫で新型コロナウイルスに挑戦したい、必ず克服できる筈だと信じていました。
それくらい、彼は健康に自信があり、きっと節制し、鍛えていたのでしょう。
また、英国伝統のハーブ療法を知っていたのでしょう。
彼に基礎疾患はありませんでした。
彼は、新型コロナワクチンやPCR検査を、自分には不要だと考えていました。
人工ウイルスを見くびり、中国を見くびっていたのでしょう。
しかし、彼の生き方は、あくまでも実践的、検証的、具体的です。
言葉や理屈でお茶を濁すことをせず、陰々滅々とした根暗でもありません。
イギリス人弁護士 Leslie Lawrenson 58歳。
新型コロナウイルスに感染した自分の様子を、ライブ中継するご本人。
もう夏なのに、高い体温と寒さで震え、冬服を着ています。
高熱が出た時、彼はPCR検査を受けに行く気は全くありませんでした。
「これがコロナだと良いな、俺は早く免疫を付けたいのだ」と彼は症状を楽しみ、自宅からネットで生放送していました。
全身が痛む高熱に耐えながらも「(頭が熱くて)俺の頭上で卵料理を作れるぞ」と冗談を言う余裕がありました。
誇り高い彼は、辛い症状など何のこれしき、当然甘受すべきことだ、という感じで受け止めていました。
その一方、反ワクチン派が続々と新型コロナに感染して医療機関をパンクさせ、ロンドンの病院では集中治療室の9割以上がコロナワクチンの接種を受けていないコロナ患者で占められ、社会に多大な迷惑を掛けていることを知っており、そうした当時の情況に彼は心を痛めていました。
だから俺は、最後の土壇場でなければ救急車や医療機関の世話にならないぞ、入院しないぞ、と決意していました。
ワクチンに頼らないということは、その結果を自己責任で受け止め、なるべく救急車や病院にも頼らない、甘えないことだ、そう彼は覚悟していたのです。
彼は子連れ同士で同棲していました。
パートナーは彼から感染し、彼のために救急車を呼んだけれど、彼は乗ることを拒否しました。
俺は良いから、他の人の所に行ってあげてほしいと、譲ったのでしょう。
俺は最期の一時を自宅で静かに過ごしたい、そう思ったのでしょう。
救急車が帰ってから10分後、彼は自室で亡くなっているのを発見されました。
実に英国紳士らしい、騎士のような最期でした。
高学歴の反ワクチン派が新型コロナで亡くなり、その死が毅然としていたことで、彼は世界に知れ渡りました。
立場の違いを越えて心を打ち、身をもって最後まで貫いたことで、彼は貴重な教訓を世に残しました。
彼の肉体は新型コロナウイルスに敗れたものの、彼の精神は信念と覚悟を貫き通しました。
その生き様は、イギリス人らしい、こだわり方でした。
彼は同居する女性に感染させ、残された子供達に寂しい思いをさせ、迷惑をかけましたが、それ以外、立つ鳥跡を濁すことなく、旅立ちました。
同居していた女性は、彼の死後、救急車を呼んで入院し、回復に向かいました。
「彼が高学歴なので、彼の言うことに従ったけれど、彼は酷い間違いを犯し、私や子供達を命の危険に曝したのです。彼は不必要な死を遂げました。私は医師の許可を得たら、すぐにワクチン接種を受けます」と彼女は語りました。
毅然として亡くなった英国紳士とは対照的に、立つ鳥跡を濁しまくって亡くなった迷惑千万な反ワクチン派Qアノンの女性活動家が米国にいました。そちらも有名になりました。
その女性は、酷い医療不信と高慢さを抱えながらも、コロナゆえに入院し、病院や患者達や周囲の住民達に迷惑をかけまくり、入院中も死後も顰蹙を買っています。
そうした迷惑千万な事例が少なくない中、 Leslie Lawrenson弁護士の最期は、見事なまでの決意と勇気を示しています。
本当にご苦労様でしたと、私は手を合わせ、心の中で花を供えています。
彼は、彼の投稿のフォロワーを連れて泊まりがけの旅行に行き、戻ってきてから発症したということで、反ワクチン派同志の旅行で感染したと思われます。
何回でも感染して、自身の説の正しさを実証する勇気を彼は持っていましたが、あいにく、初期の強力なウイルスに1回感染して、彼の正しさを立証できませんでした。
しかし、実にお見事、彼らしい筋の通し方、と言えるのではないでしょうか?
複数の記事を参照しました。
Cambridge-educated anti-vaxxer dies from Covid | Evening Standard