メイの記録 Ⅱ

情報戦サバイバル

朝鮮戦争、仁川上陸作戦で重要な役割を果たした日本

昨日のニュースによると、朝鮮戦争米国マッカーサー元帥の指揮で国連軍が決行した仁川上陸作戦を記念し、再現する軍事訓練が、米韓とカナダの合同で実施されました。

73年前の2050年9月15日、その作戦で戦況が一転し、釜山まで南下していた朝鮮軍は、やがて38度線まで押し返されました。


ところで、朝鮮戦争から60年間も秘匿されていた史実が、2010年に公開されました。

公開情報によると、仁川上陸作戦の成功には、日本の協力が重要、不可欠だったというのです。以下、2010年11月24日MSN産経ニュースから、一部ご紹介します。

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GHQ傘下の「山崎機関」判明、日本軍の情報将校が「戦略地図」作製、朝鮮戦争の米軍事作戦に活用

 

終戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)傘下には、旧日本軍情報将校らによる「山崎機関」と呼ばれる情報機関があった。

中国、旧ソ連朝鮮半島で諜報活動をしていた(日本の)旧軍人らが、これらの地域の軍事要塞や港湾、工場、病院などを詳細に書き込んだ戦略地図と解説書をGHQに提出し、朝鮮戦争では米軍による爆撃に使われた。

 

地図には朝鮮半島での弾薬庫など旧日本軍施設、造船所や工場、学校、病院などが網羅され、施設には電圧や施設の形状など詳細な解説が書き込まれている。

日本統治下の朝鮮半島で昭和19年に完成した当時世界最大級だった中朝国境、鴨緑江の水豊ダム(60万キロワット)のメモ。構造、送電、通信、渡河点など詳細なデータが、びっしりと書き込まれている。

 

GHQは東京都千代田区の第一生命ビルにあった。
「山崎機関」は100メートルほど離れた日本郵船ビル2、4階にあり、80~120人が勤務していたという。

元情報将校らの情報班のほか、実際に地図を作製する製図班、通訳班、タイピスト班など専門家グループを抱えていた。地図は、製図、翻訳を経て調書リポートが加えられ、印刷、製本された。

 

ソ連から散々いじめられたので(対米協力に)抵抗感はなかった。」

 

「山崎機関」は、GHQで諜報・情報を担当した参謀第2部(G2、ウィロビー少将)傘下に置かれた。旧日本軍参謀本部で中国担当だった山崎重三郎元陸軍中佐がトップで「Yセクション」とも呼ばれた。第二次世界大戦後初の米軍の大規模軍事行動となった朝鮮戦争(1950~53年)に直接関与した。

 

特に朝鮮戦争(1950~53年)で、国連軍が反転攻勢に転じるきっかけとなった「仁川上陸作戦」(1950年9月15日)の前は、(GHQ、山崎機関の)動きが急だったという。

馬場氏は朝鮮半島の地図を多く担当。「当時、仁川周辺の製図で徹夜続きになった。何かあると思った」と振り返る。

馬場氏は「朝鮮の地図は、旧日本海軍の資料が豊富にあり、灯台や機雷の位置などが正確だった。将校の中には終戦で燃やしたはずの参謀本部の資料を、風呂敷包みでGHQに持ち込んだ人もいた」と話した。

 

米国の対日占領政策と情報活動に詳しい春名幹男名古屋大学特任教授の話「米国が戦後に持っていなかったのが北朝鮮、中国情報だった。冷戦の深刻化で、旧日本占領地の人的情報は重要だった。また地図は軍事情報の基本中の基本。こうした組織があったことや地図は、貴重な歴史的資料になる」  以上

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日本の協力は、旧日本軍や海上保安庁、企業や民間人に及び、詳細な地図作成、機雷除去、戦車や兵員の輸送、上陸支援、武器製造や修理、通訳や調理、志願兵等、広範に及んだ。

北の勢力が釜山に至るまで支配していた中、朝鮮半島に関する日本側の情報は、国連軍による迅速かつ正確な攻撃と進軍に不可欠だった。

 

国連軍が仁川港で上陸を敢行するには、潮の干満差が大きい港で、高い岸壁を登るための軽くて丈夫な梯子が必要だった。

当時、アルミ製のハシゴを作っている工場が日本に1つだけあり、大阪にあるその工場は、消防車のハシゴも作っていたので、上陸作戦用ハシゴの緊急製作が委託された。

しかし、途中で台風が来て、工場の屋根が飛ばされてしまった。それでも懸命に作業を敢行し、予定のハシゴ60台が無事に納入され、仁川上陸作戦で使用された。


作戦協力の過程で、船が機雷に触れて爆発、沈没し、行方不明になった日本人もいた。
米軍のコックとして渡韓したが、銃を持ち、激戦で死亡し現地で集団埋葬されたとみられる日本人もいた。
こうした人達の奮闘努力もあって、国連軍は北進し、多くの韓国人達が救われることとなった。

 

シベリアに抑留され、命からがら帰国した日本の軍人達も、山崎機関に進んで協力した。それは、北朝鮮支配下の韓国人達の苦難が、他人事ではなかったからに他ならない。

 

2019年2月3日のNHKスペシャル朝鮮戦争秘録‐知られざる権力者の攻防」によると、朝鮮戦争では日本人2,000人が軍事作戦に従事したという。(日本から出向いた人達だけで、ということらしい)
朝鮮戦争で協力した日本人の死者57人、他に重軽傷者。

 

仁川上陸作戦の記念日に際し、日本人達の懸命な協力と犠牲もあったことを想起し、日本人として長らく知らなかったとはいえ、彼等の見識と勇気に感謝し、ご冥福を祈ります。